その“苦手”は、過去の誰かの言葉かもしれない
- Hiroki Nagaya
- 6月6日
- 読了時間: 3分

「オレ、運動苦手だから」
教員時代によく聞いていた言葉です。
まだ何もやっていないのに、自分で自分にレッテルを貼っているように聞こえます。
話を聞いてみると、よく出てくるのがこんなエピソードです。
「前、先生に“下手だな”って言われた」
「運動会でビリになって、友達にからかわれた」
「体育の授業が苦手だったから、嫌いになった」
「苦手」には、過去の誰かの言葉がひそんでいる
子どもたちは、他人の言葉を驚くほど真に受けて、そしてそれを“自分の評価”として心にしまい込んでしまいます。
たった一度の失敗。
たった一言の否定。
それが「自分はダメなんだ」「運動に向いてないんだ」という思い込みに変わるのは、時間の問題です。
でも、その“苦手”は、本当に自分自身がそう感じているものなのでしょうか?
もしかしたら——
誰かの言葉が、今も心のブレーキになっているだけかもしれません。
EXCEEDでの“再会”の瞬間
パルクールをしているある子は、高いところが苦手でスタジオにあるレールの上を歩くのが怖くてできません、いつも遠くから見ているだけでした。
「怖いからイヤ」——そう言って、挑戦しようとしなかったんです。
でもある日、他の子が楽しそうに歩いているのを見て、ふとその子がレールに足を乗せたんです。
しばらく見ているとちょっと恥ずかしそうに笑いながら、ゆっくりと一歩一歩進みはじめました。
バランスを崩しても、何度も落ちても、何度も戻ってやり直すその姿は、挑戦そのもの。
「できたかどうか」よりも、「やってみようと思えたこと」。
それが、その子にとっての苦手との“出会い直し”になった瞬間でした。
向いてないわけじゃなかった
その後、その子は、パルクールの高いところのステップや跳び越えの動きにも自然にチャレンジするようになりました。最初に「苦手」と思い込んでいたのは、ただ“やったことがなかっただけ”だったのかもしれません。
苦手な体験の裏には、「うまくいかなかった記憶」と「傷ついた気持ち」があります。
でも、それがすべてだと思ってしまうのは、もったいない。
自己肯定感は、「再挑戦」で育つ
一度あきらめたことに、もう一度チャレンジしてみる。その一歩には、大きな勇気がいります。
だからこそ、僕たち大人ができるのは、「もう一度やってみてもいいんだよ」そう思えるような環境を用意すること。
結果じゃなく、その姿勢を肯定してあげること。
それが、子どもが自分を信じる力につながっていきます。
おわりに
子どもたちは、「もう一度やってみてもいいかも」と思えたとき、過去の言葉から少しずつ自由になっていきます。
運動が苦手なんじゃない。
ただ、“やったことがなかった”だけかもしれない。
ただ、“経験する機会が少なかった”だけかもしれない。
「できない」と思っていたことが、「やったことがなかっただけだったんだ」と気づけたとき、その子の目が、少し変わります。
それは運動だけじゃなく他のことでも同じです。
EXCEEDは、そんな“再挑戦”や“出会い直し”を応援する場所でありたいと思っています。
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