子どもの“生きる力”は運動で育つ? 元教員が語る本当の意味
- Hiroki Nagaya
- 5月16日
- 読了時間: 3分

〜走る・跳ぶ・のぼるの先にある、子どもたちの未来〜
ボクは、運動って“生きる力”そのものだと思っています。
もちろん、走る・跳ぶ・逆立ちする──などの身体的な能力も大切です。
でもそれ以上に、運動には「もっと深くて、もっと根っこの部分にある“人としての力”が育つ感覚」があるんです。
たとえば…
「できるかな…やってみようかな」と、一歩踏み出す勇気
「うまくいかなかった。でも、またやってみよう」というしぶとさ
「次はこうしてみようかな」と考える力
「あの子の動き、すごいなぁ」と感じる憧れと刺激
「ちょっと悔しい。でも、楽しかったな」という感情との向き合い方
など
こうした“目に見えない力”こそが、ボクの考える「生きる力」です。
「生きる力」って、そもそも何?
実は学校教育の大きな目標のひとつが、「生きる力を育てること」です。
でも、保護者の方からすれば「それって具体的にどういうこと?」と感じる方も多いと思います。
文部科学省が掲げる「生きる力」とは、
✔︎ 確かな学力(考える力・知識を活かす力)
✔︎ 豊かな人間性(思いやり・コミュニケーション力)
✔︎ 健康・体力(自分の心と体をコントロールする力)
この3つが柱です。
言いかえれば、「自分らしく社会でたくましく生きていくための力」。
そしてそれは、突き詰めれば「仕事をして、自分で稼いで、生きていく力」だとボクは思っています。
社会に出れば、理不尽なことにもたくさん出会います。
がんばっても報われないことや、自分の力ではどうにもならない壁もあります。
そんな現実の中で、自分の心を保ち、あきらめずに前を向く力。
うまくいかないことが続いても、一度立ち止まって、またもう一度立ち上がる力。
それはきっと、大人になってからこそ必要になる“強さ”だと思います。
ボクは、その“折れない力”の土台を、運動で育てられると信じています。
学校では教えきれない力が、運動にはある
ボクはかつて学校の教員をしていました。
その中でずっと感じていたのは、「教科の知識だけじゃなく、もっと人としての“根っこ”の力を育てたい」という思いです。
でも、教室では時間の縛りやルールがあって、なかなか自由に育める場面が少ないのが現状。
そして、それってやる必要あるの?と思うこともたくさんあります。
だからこそ、運動の中で起きる“気持ちの揺れ”や“成功・失敗の体験”がとても大切だと思っています。
上手くいかないこと、怖さ、緊張、挑戦、あきらめそうになる瞬間──そんな感情がごちゃ混ぜになる“運動の場”だからこそ、子どもの内側が育ちます。
EXCEEDは、そんな場をつくる場所でありたいと思っています。
だから「上手になること」だけが目的じゃない
うちの教室では、技が上手くなることだけをゴールにしていません。
ブレイキン、パルクール、アクロバット。
かっこいい技ができるようになるのはもちろん楽しいし、自信にもつながります。
でも、その過程にある「失敗したけど立ち上がった」「できると思ってなかったのに、跳べた」「怖くて泣いてたけど、最後には笑ってた」
──そういう“心の変化”のほうが、ずっと価値があるとボクは思っています。
最後に
運動って、ただ身体を動かすだけの活動じゃありません。
自分の限界に気づいたり、それを超えたり、自分らしさを知ったりする“人生の練習”のようなものだと思います。
だからボクは、これからも運動を通して「生きる力」を育てていきたい。
そして、それが「生涯に渡って運動に親しむ」ことにつながり、豊かな人生を自分で切り開くことができる子の育成につながると思っています。
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