学校に行く意味子どもに伝えられますか?
- Hiroki Nagaya
- 2025年7月8日
- 読了時間: 4分

※あくまでも個人の意見なので,一つの価値観だと思って読んでもらいたいです。
なぜ学校に行くのか
「なぜ学校に行くのか。」
よく話題に上がるけれど、子どもに聞かれたときにどのように答えれば最適なのでしょうか。 元教員であるにもかかわらずボクは基本「学校なんて行かなくてもいい」と思っている人間なのでこの問いは真剣に考えていきたいと思います。
結論
ボクが考える答えは, 「暇つぶしをいかに楽しく過ごすかを学ぶため」 です。
実業家のホリエモンが言っていた言葉ですが,
「人生は究極の暇つぶし」 ボクはこの言葉がめちゃくちゃしっくりきました。
どうせ暇つぶしをするのなら楽しいことをして過ごしたい。
死ぬまで嫌な思いをするのは耐えられません。
このような考えから教員を退職した身であり, 楽しいと思うことに全力を注いで生きていくことにしたわけです。
話がそれましたが,学校は暇つぶしの方法を学ぶ場所なのではないかと思います。
暇つぶしの方法
暇つぶしの一つ,「学ぶ」ということ。
様々なことを学ぶことで知的好奇心が満たされます。
以前に読んだあるフランスの思想家の言葉ですが,
「知識を得るというのは,別のものどうしを別のものだと認識することができるようになること。」だそうです。
これだけだとよく分かりませんが,
例えば,「イヌ」という言葉しか知らなければ四つ足の動物はすべて犬です。
しかし,ウマやらウシやらいろいろな言葉を知っていればそれを別のものだと認識することができます。
知識を身に付けることで解像度が上がり、明らかに世界が広がってきます。
人はそれを「楽しい」と思うのではないでしょうか。
さらに,このような表現の違いも知識があるからこそです。
たとえば,コップ一杯の水を見て,
算数的表現:「ここに200mlの水がある」
理科的表現:「無色透明、無味無臭の中性の液体」
社会的表現:「川の水が浄水され水道から出てきた液体がある」
国語的表現:「静かにたたずむ、透明な一杯の水がある」
音楽的表現:「コップを指ではじくと、水が入っている音がした」
美術的表現:「光を反射し、わずかに揺れる水面がガラス越しにきらめいて見える」
体育的表現:「運動後の水分補給」
同じ一杯の水でも,知識や経験,視点が変わればまったく違うものとして捉えられます。
こういうことが分かると,世界がどんどん面白く見えてくるのです。
また,暇つぶしの一つとして,「身体を動かす」ということがあります。
身体を動かすことで爽快感を得られます。
できないことができるようになり達成感を得ることもあります。
たとえば,鉄棒で逆上がりができるようになった瞬間や, かけっこで初めて1位になれたときなど, 「できた!」という感覚は,脳からセロトニンやドーパミンというホルモンを分泌させてくれて, 人を幸せな気分にさせてくれます。
人はこうした瞬間に「生きる意味」を感じるのではないでしょうか。
さらに,暇つぶしの一つとして,「人との関わり」というのがあります。
人と話したり,一緒に何かをしたり,協力したり,達成感を共有するという行為は, 脳からオキシトシンというホルモンを分泌させて,これも人を幸せにしてくれます。
たとえば,合唱コンクールでみんなと歌を仕上げたときの一体感や, 鬼ごっこやドッジボールで自然と生まれるチーム意識, 友達と空き地で秘密の遊びをして「明日またやろう!」と盛り上がったあの時間など。
こうした経験は,「自己肯定感」や「仲間意識」につながるのではないでしょうか。
こういった気持ちをもつことで,暇つぶしの時間が楽しく,幸せで意味のあるものになっていくと思いませんか。
こうして学んだことを使って,仕事をするのもよいし,ひきこもるのもよいし,遊んでくらすのもよいし, 様々なことを身に付けていれば暇つぶしの自由度が高くなります。
しかし,何も学ばず,自由度が低かったとしても日本には生活保護という最低限の生活を保障してくれる制度があるので問題ないのです。
まとめ
学校とは「長い暇つぶしの方法を学ぶ場所」だというのがボクの意見です。
しかし,ここまで読んで感じた方もいるのではないでしょうか?
「あれ?それって学校じゃなくても学べるんじゃない?」と・・・
現代はインターネットやSNSなどの普及で上記にあげたことはすべて自分でできてしまいます。 というわけでボクは「学校なんて行かなくてもいい」という考えをもっていることにつながるのです。
つまり,学校に行って学ぶのも良いし,自分で学ぶのも良い,学ばないという選択肢もある。
もちろん、学校が楽しい人にとっては学校とは最高の学びの場です。
今の時代,子どもは学校に行くという狭い視野だけでなく, ほかの選択肢にも目を向けて,様々な子ども時代の生き方があって良いのではないでしょうか。
これこそ生き方の多様性です。
こういった柔軟な思想が広まって欲しいなと思っています。
※あくまでも個人の意見なので,一つの価値観だと思って読んでもらいたいです。




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