多様性について~外国にルーツを持つ子どもたちとの授業~
- Hiroki Nagaya
- 8月27日
- 読了時間: 3分

これは“壮大な話”ではない
前回の記事にも多様性について書きました。
「多様性」と聞くと、なんだか世界を股にかけた話に思えるかもしれません。
でも、ここでお話ししたいのは、もっと身近な、教室の中での“多様性”です。
すぐ隣に座っているかもしれない、ちょっと文化の違うあの子。
その子との関わりから見えてくる、多様性について考えてみませんか?
そもそも「多様性」って何?
多様性とは、「互いに非常に異なる多くの人や物の集まり」のこと。
たとえば自然界にはさまざまな生き物がいて、それぞれが役割を持って共存していますよね。人間社会も同じ。肌の色、言葉、性別、能力、価値観——みんな違って当たり前。
にもかかわらず、日本の学校ではまだまだ「みんな一緒であること」が求められがちです。そこには「同調圧力」や「出る杭は打たれる」文化が根強く残っています。
クラスにいる“外国人の子”
最近は、日本に住む外国籍の子どもも珍しくありません。
地域によっては、学年に何人かいる学校もあるでしょう。
ただ、その子たちが“自然にクラスに溶け込めているか”というと、話は別です。
言葉が通じない、
文化が違う、
なんとなく浮いてしまう、
先生もどう接していいか迷ってしまう
…そんな空気感、感じたことはありませんか?
もちろん、すべての先生や子どもたちがそうだとは思いません。
でも、学校という「みんな同じ」が基本になりがちな場所では、外国にルーツを持つ子が“異物”として扱われやすいのも事実です。
異文化に触れる“生きた教材”
でも、見方を変えればこれはすごいチャンスです。
外国籍の子がいることは、そのまま「異文化に触れるきっかけ」になります。
たとえば、ブラジルにルーツを持つ子がいたら、
「ブラジルではクリスマスってどう過ごすの?」
「学校って日本とどう違う?」
そんなふうに声をかけるだけで、子どもたちは異文化を“リアルに”学ぶことができます。
言葉が通じなくても、ジェスチャーや笑顔で心は通じる。「違い」に目を向けるのではなく、「違いから学ぶ」こと。それが多様性を受け入れる第一歩だと思うのです。
外国にルーツを持つ子が「特別」じゃなくなる日
日本語が話せない、
マナーがちょっと違う、
ルールの捉え方が違う
それは“問題”ではなく“文化”です。
そして、その文化を「おもしろい!」と感じられる子が増えたら、クラスの空気もガラッと変わります。
文化が違う子との関わりは、“多様性教育”のためにわざわざ準備しなくても、目の前にすでにある“生きた教材”なんです。
学校の外からでも、できることがある
現代社会では、LGBTQ、障がいのある人、女性、外国人など、さまざまなマイノリティに対する理解が求められています。
でも、その理解は「勉強する」ことではなく、「関わる」ことから始まるのではないでしょうか。
小さいころから、異なる文化や価値観に触れ、自分と違うことを「面白い」と思える感性を育てること。
それが、これからの時代に必要な“人間力”になると信じています。
エクシードは、誰にでも開かれています
ボクが運営する運動教室「Athletic Gym EXCEED」では、これまでに外国籍の子どもたちや、文化的な背景が異なるご家庭の方とも多く関わってきました。今はもう終了しましたが、以前は高齢者向けのデイサービスで運動指導もしていました。年齢も国籍も問わず、すべての人が“できる”を増やせる場所でありたい。そう願って、日々運動を届けています。
どんな背景を持つ方でも、安心して足を運んでいただける場所を、これからもつくっていきます。




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