板書をノートに写すことほど無駄なことはない
- Hiroki Nagaya
- 8月6日
- 読了時間: 4分

ノートの必要性って本当にある?
学校に通っていたころ、授業中ってどんなふうに学習していましたか?
ほとんどの人が、黒板の板書をノートに一生懸命書き写していたんじゃないでしょうか。
なかには、先生の話を聞いていただけの人もいれば、
こっそり漫画を読んでいたり、
ついうとうと寝ちゃってた人もいるかもしれませんね(笑)
もちろん、ボクもノートはしっかりとっていたし、
教員時代には子どもたちに「ちゃんとノートとろうね」って指導もしていました。
でも、子どもたちの反応を見ていると、ある疑問が生まれてきました。
ノートって、本当に必要?
・ノートとる時間って無駄じゃない?
・そもそも写すだけに意味ある?
もちろん全部が無駄なわけではありません。
でも、そう思うようになったのは教室の中で起こっていた“学力の二極化”を感じていたからです。
学力が高い子たちは、そもそも黒板なんて見なくても理解します。
逆に、勉強が苦手な子は、黒板を見て、文字を読んで、覚えて、書く……
この一連の作業自体がもう苦手なんです。
どちらにしても、板書をノートに書くって行為は「ただ写しているだけ」。
この「写すだけ」の作業に、一体どんな“学び”があるのでしょうか。
写すって、ただの単純作業です。思考は一切ありません。
字の練習にはなるかもしれないけど、それだけです。(笑)
後から見返すため?
じゃあ「あとで勉強するため」に必要なのかっていうと…
うーん、それも微妙。
だって、ただ黒板を写しただけのノートより、教科書や参考書のほうが、よっぽど分かりやすく整理されています。
「ノートをきれいに書けた!」って満足感はあるかもしれないけど、
それって“学び”じゃなくて“作業完了の達成感”。
本当の学びって?
学ぶって、本来もっと“頭を使う”ことです。
思考して、試して、間違えて、また考えて…そうやって少しずつ理解していくもの。
ノートをとると「やった感」は出るけど、そこに落とし穴があるんです。
授業中ってどう学ぶべき?
じゃあ、授業中は何をすればいいのか?
答えはシンプル。
「先生の話を聞く」です。
特に大事な話や気になったことだけ、サッとメモをとるくらいでちょうどいい。
実験でも証明されている
以前見た実験がすごく印象的でした。
60分の授業を受けたあとにテストをするという実験で、一方は板書を一生懸命ノートに書いたグループ、もう一方は先生の話を聞いて、印象に残った部分だけメモしたグループ。
結果は、話を聞いていたグループのほうがテストの点数が高かったんです。
つまり、ノートをとってたグループは、「ノートをとること」に集中しすぎて、話の中身を理解してなかったんですね。
これってけっこう衝撃的です。
学校の授業の無意味さが証明されてしまっています。
教科別に見るノートの必要性
算数・数学
ノートに写す必要、かなり少ないと思います。
公式やルールの理解さえできれば、あとはひたすら練習するのみ。
問題を解くことにノートを使うのはいいけれど、板書を写すくらいなら、その時間に1問でも多く問題を解いたほうが学びになります。
社会
これもノートをとる意味、ほぼなし。
年号や人の名前をノートに写しても覚えられません。
それよりも、出来事の背景や因果関係を理解して、物語として覚えるほうが効果的。
例えば中田敦彦さんが言ってましたが、「推しメン歴史人物」をつくって、その人を中心に関係づけていくと、けっこう楽しく学べます。
理科
こちらも社会と似ています。ノートを写すくらいなら、先生の話に集中したほうが断然いいです。
国語
唯一、ノートが必要だと感じる教科。
でもそれは「板書を写す」のではなく、自分の考えを書くためです。
文章は、とにかく書かないと上手くなりません。
ノートをとらせるなら…
ノートをとらせるのであれば、「ノートのとり方」をしっかり教えることが前提。
例えばこんな方法:
左に板書、右に自分のメモや意見
色分け(超大事、大事、普通)で強調
一番下に要点まとめを書く
こうやって“思考”しながらノートをとれば、学びに変わっていきます。
まとめ
学校って、まだまだ“無駄な作業”が多いのが現実です。
ノートもその一つ。
ただ写すだけなら、いっそプリント学習のほうが効果的です。
特に勉強が苦手な子にこそ、その子に合った方法で“本当に意味のある学び”を届けてあげたい。
文部科学省では「個別最適な学び」と言われていますが。
今はタブレットやPCも一人一台ある時代です。
これから、授業のやり方も少しずつ変わっていくといいですね。




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